一生懸命な人はカッコいい。
そして一生懸命になれることを仕事にできている人はものすごく尊敬します。
夢中になれるものがあること、そしてそれを仕事にできていること。
自分もそうなりたいと、ずーっと思っています。
なのに自分は何にも一生懸命になれていません。
なぜなのでしょうか。
自分は感情の無い人間なのでしょうか。
何にも熱くなれません。
この現状に毎日落ち込み、ネガティブになっています。
もはや自分はそういう人生(運命)なのだと諦めさえ感じています。
なので毎日、一生懸命になれない(つまらないと感じている)仕事をして、仕事が終わったらご飯を食べてお風呂に入ってテレビやYouTubeを受動的に見て(何かに一生懸命頑張っている人達を見てすごいなぁ、面白いなぁと思うだけ)、布団の中で自分は何に一生懸命になれるんだろうかとモヤモヤしながら寝るというルーティーンを繰り返す始末です。
こんな自分ももう30代中盤に差し掛かろうとしています。
正直、自分はニートと変わらないです。
仕事をしている(こなしている)だけで、その他の部分は永遠に自分探しをしている状態。
もう色々とこじらせてますよね。
こんなにこじらせている要因を考えてみます。
やりたいと思えることがない
そもそも転職する際も、「やりたいこと」ありきでは無かったので転職する前も後も「やりたいこと」は見つかっていません。
今振り返ると、転職前の方が約10年も勤めていたのでそれなりに「やりたいこと」があったように感じます。
Will-Can-Mustと言われるフレームワークの中の「will」の部分です。
・Will:自分は何をやりたいのか?
・Can:自分には何ができるのか?(スキル)
・Must:会社からの期待にどう応えるのか?
非常に悲しく情けないのですが、正直思いつくものは無いです。
この問いを聞かれた際(やりたいことがあるかどうか)はいつもこんな風に思ってしまいます。

そんなことを言ったら、自分の意見も言えない主体性の無い人間と思われてしまうので言えません。
なのでこんな風に教科書通りの返しをしています。

ですが、「Must」と「Can」をしていても「Will」が無い限りやる気も出ませんし、一生懸命にもなれないのを現在進行形で体感しています。
「Will」の探し方が分からない。。。
30代にも関わらずいまだに自分探ししている格好悪い奴です。
そもそも「Will」を見つけるために、「Must」と「Can」に注力すべきなのでしょうか。
というか「Will」は探さないと見つからないものなのでしょうか。
ここで少し、過去の自分の「Will」が何だったのかを振り返ってみようと思います。
過去の振り返り
過去の自分の「Will」→「サッカー」
私が幼稚園の時に父親がサッカーを教えてくれました。
その後小学校のスポーツ少年団に入りサッカーをしました。
いつの間にかサッカーが好きになっていました。
幼稚園から大学までサッカーを続けることができました。
何が好きかというよりかはとにかく「楽しかった」です。
友達とサッカーすることが楽しい。
相手をかわしたとき楽しい。
点を決めたときが楽しい。
サッカーをしているときがとにかく楽しかったです。
過去の自分の「Will」を振り返ってみると、「Will」≒「楽しいという感覚で取り組んでいるもの」なのではないかと思います。
つまり、今の自分は楽しいという感覚で取り組んでいるものが無いということになります。
仕事=やりたくないという考え方から抜け出せない
「仕事」という分野であることを前提に考えると、そもそもやりたいことが見つからないのは当然な気がしてきました。
なぜかというと、「仕事」=やりたくない、つまらない、生きていくため(お金のため)という考え方が根本にあるからです。
根本にそのような考え方がある時点で、そのうえに「やりたいこと」をいくら見つけようとしても見つかるわけがありません。
だって、仕事はやりたくないんだから。
仕事をやらなきゃいけないもの、やりたくないものと考えてしまう呪縛から抜け出したいです。
ほとんどの人は、仕事は辛いもの、つまらないものと決めつけてそもそも「やりたいこと」など考えることさえしないかもしれません。
ある意味、考えることを放棄して仕事=我慢と割り切っている人がほとんどかと思います。
自分もそう考えて仕事をしてきましたが、ずーっともやもやしていました。
だからこそ転職してみたのですが、変わらずもやもやしています。
楽しく仕事をしてみたい!仕事って楽しいという感覚を味わってみたい!
今の想いはそれだけです。
まずはその根本を直さないといくら「やりたいこと」を探しても見つかるわけがありません。
どんな内容の仕事をするかよりどんな人と仕事をするかが重要
「楽しく仕事をしてみたい」
そんな想いから転職活動を始めました。
どんなときに楽しいのかを考えると、自分の場合はどんな内容の仕事をやるかというよりかはどんな「人」と仕事をするかが重要だと気付きました。
例え工場のライン勤務だとしても、コンビニのアルバイトだとしても「人」が良ければ楽しいと感じると思いますし、人のために動こうという想いやりも自然と出てくると思います。
では、私が考える「人」が良いというのは何なのかと言うと、
お互いに興味関心を持ち、思いやる心やリスペクトの気持ちを持つなど色々と要素はありますが、なにより重要なのはその人と一緒に働きたいと思うかです。
かなり抽象的な表現になってしまいますが、その感覚が重要なんだと思います。
これは言い換えると、「相性」という表現になるかもしれません。
私は大学時代のコンビニのアルバイト時代にそれを体感しました。
年齢も高校生から50代ぐらいのおじさんまで色んな人がいました。
アルバイト自体にやる気は当然そこまでなく、てきとーに仕事をして休憩時間に同じシフトの人とおしゃべりしていただけだったのですが、今思うとそのおしゃべりが大切だったのだなと思いました。
お互いに無駄話をすることで、お互いを知りその人に興味を持ちはじめ、その人のことが人間的に好きになっていく体験をしました。
そしていつの間にか次のバイトが楽しみになっていましたし、バイト中もお互いが楽しくやれるようにお互いの特徴などを配慮しながら、自然と自分が適した業務(レジや品出しなど)を率先して行っていました。
これって、今の自分がなりたい姿なのでは⁉と書いてて思いました。
そう考えると、まずはお互いに無駄話をすることが以外にも重要なんだろうなと思います。
バイトだとさぼりながら色々と話したりする機会はあると思います。
それはバイトがだるいからです。
これが共通認識としてあるからこそ、そこまでお互いに構えることなく無駄話ができます。
一方、会社だとあまりそれができません。
つまり仕事がだるい・嫌だ・いきたくないという共通認識が取れないので、無駄話ができないです。
無駄話ができないというより無駄話をしても良いのか分からないという感覚です。
本当はみんな仕事なんてしたくないと思っているのに、家族や社内の評価などを考えるとアルバイトの時より表立った表現をしない人が多いので分かり合えない実態はあると思います。
そう考えるとこんな流れになるかもしれないです。
相性が良い人を作るには
仕事の価値観を合わせる(仕事つまんないよね、お金があるなら本当はしたくないよね…etc)
↓
そのうえで(心理的安全性を確保したうえで)無駄話を積極的に行う(仕事以外の話をする)
↓
お互いに人となりを知っていく
↓
その人に興味・関心(愛着)を持ち始める
↓
その人に対し「相性が良い」という感覚の形成
こんな感じで今の職場の人と相性が良い関係性を築くことができれば嬉しいなと考える今日この頃です。
でもみんな仕事を楽しいと本当に思っていそうな人たちが多く、仕事がつまらないと考えている自分は全く逆で「水と油」なので苦しんでいます。
自分の仕事の価値観を変えたい一方で、今の自分の仕事の価値観に合う人と仲良く仕事をしていきたいという想いもある。
楽しく仕事をしてみたいです。
ということで今日はこのへんで。
